献本(その2)(by友岡)

昨日の続きです。
昨日は献本‘される’話でしたが、今日は献本‘する’話です。


本が出ると、著者は献本をします。
色々な人に送り(贈り)ます。


友人、知人、同業者、身内、恩師、同僚、親類縁者、ライヴァル、ご近所、自慢したい人、褒めて貰いたい人……(順不同・重複あり)。


100冊、いや200冊くらい献本する人も決して珍しくありません。
この人に贈るなら、あの人にも贈らなくては、という感じでどんどん増えていってしまうものです。


ボクも昔は、100冊とまではゆきませんが、それなりに、かなり献本していました。
最初の本や2冊目の本のときには(よく憶えていませんが、多分)何十冊も献本していました。


しかし、著書が増えるにつれて、献本はどんどん減ってきました。


或るエッセイ[*註]に次のように書きました。
「初めて自分の本が出たときには無論、嬉しかったが、しかし、限界効用が逓減しない、と言うべきか、2冊目が出たときにも、3冊目が出たときにも、同じくらい嬉しく……」。
このように、嬉しさ、は減らないのにどうして献本は減ったのでしょうか?


いずれにしても、最近はせいぜい10数冊しか献本しません。
それに仕事関係の人、同業者の類いには贈りません。
プライヴェイトな関係の、限られた人にだけ贈っています。
ただし、そういう人はボクの本の専門的な内容には全く関心がない人がほとんどです。
だから、贈っても、ちゃんと読んでくれる人はほとんど居ません。
でも、ボクはこんなことをやってるんだよ、ということが伝えられればいいのです。


ボクの専門的な仕事に関心を持ってちゃんと読んでくれるような人は、きっと、ちゃんと書店で買ってくれるでしょう。


というわけで、最近、ボクが献本しなくなった方々には、悪しからずご諒承下さい。m(._.)m


次の本、15冊目の本がいつ出るか分かりませんが、今度の献本は何冊でしょうかね。


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*註 友岡「嬉しそうな笠井さん」『笠井昭次先生の人と学問』(笠井昭次先生古稀記念論作集 第3巻)414〜416頁。