小さな楽しみ(by友岡)

2月13日の「禁煙」というタイトルのブログを見て下さった或る方と飲んでいました。


「先生、最初からぜんぜん平気だったってホントですか?」
「まあね。ニコチン中毒的には平気だったけど、でも、小さな楽しみ、がなくて大変だった」
「て、どういうことですか?」
「どういうことかっていうと、例えば原稿を書いてて、あと3行書いたら一服、とかいう目先のちょっとした楽しみがなくなると、生きるのが大変ってこと。大袈裟かもしれないけど」
「生きるのが?」
「うん、そう。これはたまに言うんだけど、
‘10年にひとつの楽しみ、1年にひとつの楽しみ、1か月にひとつの楽しみ、1週間にひとつの楽しみ、1日にひとつの楽しみ’
っていうの。
つまり、大小いろいろ、大きいのや小さいのやいろんな楽しみが人生には必要ってことなんだけど。
例えば10年にひとつとか、1年にひとつとかの楽しみっていうのはかなり大きな出来事で、つまりかなり大きな楽しみなんだろうけど、でも10年にひとつとか、1年にひとつとかじゃ、それだけを待って生きてくのは大変。
で、だから、‘小さな楽しみが大切’ってこと。
1週間にひとつ、とか、1日にひとつ、とかっていうのはつまり、週末には○○をしよう、とか、今夜は○○を食べよう、とかってことね。で、もっと小さいのが、あと3行書いたら一服、みたいなやつね。
で、いずれにしても、そういった、小さなこと、を楽しみにして過ごすと、‘生きやすい’ってこと」
「なるほど。
だから、禁煙しちゃって、煙草っていう小さな楽しみがなくなっちゃうと、生きにくい、ってことですね」
「うん、まあそういうことね。
あと3行、とかだったら、でもまあホントは、どうしても書けなくて、3行書くのに何日も掛かる、なんてこともあるんだけど、それはおいといて、で、あと3行、とかだったら、ちょっと頑張れば、すぐに楽しみがやってくるから、ちょっとだけ待ってれば、ちょっとだけ我慢すれば、っていうことね。
ていうか、要するに、当たり前のことだけど、逆に言えば、ずっと長いこと待ってるのは大変、てことだよね。さっきも言ったように、10年にひとつとかの楽しみを、それだけを待って、10年もずっと待ってるのは大変だからね」
「なるほど」