自分が始めないと……(by友岡)

今日は日本語・日本文化教育センターの運営委員会がありました。
[このセンターについては12月14日のブログを参照]
ちなみに、運営委員会というのは、○○センターとか○○研究所とかでは最も大事な会議で、学部で言えば教授会に相当します。
1月25日の「9時は早朝?」というタイトルのブログでは、
大学では会議に出席、欠席の選択権がある、
という話を書きましたが、今日の会議はそういうわけにはゆきません。この会議はボクが主催者だからです。
そもそも会議の日時も、ボクが自分の都合で決めているので、この日はほかに用があるから出席できない、と言うこともできません。それに、この会議はボクが招集してボクが議長を務めるわけですから、ボクが居なければ始まりません。
ボクがこのセンターの所長になってもう5年目になりますが、最初の頃は、
自分が居ないと始まらない、
という状況にやや戸惑いがありました。


そうした‘戸惑い’で思い出すのは、ずっと(?)昔、初めて教壇に立ったときのことです。
助手になってしばらくして講義(「会計学総論」)を担当することになり、日吉キャンパスの某教室に行きました。
そのときに思ったことは、
ここでは自分が始めなければ何も始まらないんだ、
ということでした。
それまでは、学生の立場なので、ただ教室で待っていれば、先生がやって来て授業を始める、という感じだったのが、今日からは自分が何かを話し始めなければ授業は始まらないんだ、ということ(当たり前のことですが)に気が付いて戸惑ったことを覚えています。


また、講義をするようになって初めの頃は‘沈黙’が怖い、という話があります。
教壇に立つようになって気が付くのは(上記のことと同じですが)自分がしゃべらないと教室は沈黙している、ということです。
初めの頃は、教室の沈黙が怖くて、教壇の上で黙ってしまうことが怖いので、どんどん早口で話してしまうが、何年も経験を積んで、教壇の上で黙り込んで考え事でもできるようになったら一人前だ、などとも言われます。


そういえば、昔、ボクが敬愛(?)していたM教授は、学生の存在など忘れたかのように、教壇の上で独り腕組みをして首をひねりながら10分も20分も考え込んでしまっていました[*註]。
そんなことのできる、(良くも悪くも)いかにも学者らしい人でした。


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*註 友岡「峯村さんと過ごした日々」『三田評論』949号(1993年7月号)。