学生の研究発表や論文のドラフトについて
「これじゃ‘論文’になってない!」とか、「で、君の論点は何?!」とか言うと、
「じゃあどうしたら‘論文’になるんですか?」とか、「論点はどうしたら見つかるんですか?」とかいった素朴な質問が返ってきます。
そういう時には、まず、
いくら文献を読んでも、全部、なるほど、と思って書いていたら、何百枚になっても‘論文’にはならないし、他方、論じてさえいれば、たとえ1枚でも‘論文’にはなる、
といったことを説明し、
さらに、
文献を読む際には、疑いの目、で、あら探しをするように、どこか間違っているんじゃないか、と考えながら読むといい、
そういう批判的な目で読むと論点が見つかる、
といったことを教えます。
ただし、これはいわば、初心者向け、のアドバイスです。
大学院の博士課程以上くらいの人に対しては、批判的な目、は勧めません。
学者は批判的でなくてはならない、といったことが言われますが、ボクは、それには‘批判的’です。
「存在するものには必ず存在理由がある」。
或る人がそう言っていました。
批判するよりもむしろ学ぶべきではないでしょうか。
例えば他者の学説でも、現行制度でも、存在するものには必ず存在理由がある。
批判するよりも、その存在と存在理由から学ぶ。
そのほうが実りは大きい、と思います。
否定するよりも肯定するほうが得るものは大きい、と思います。