歴史研究(by友岡)

昨日は博士課程の大学院生M君の論文指導をしました。


同君の論文指導はなかなか大変です。
とはいえ、これはM君に問題があるからではなく、彼の論文が歴史の論文だからです。


歴史とはなんぞや? 歴史研究の意義は? などといった方法論的な難しい話をするつもりはありませんが、歴史の論文は、査読者(審査者)が歴史家でない場合には
「この論文の意義は?」
(要は「こんなことを調べてなんになる?」)
といった観点から、‘門前払い’されてしまうこともあるからです。


以前、○○‘史’を専攻しているQ助教授の論文が○○‘学’の大家によって審査される、というケースに遭遇したことがありますが、○○学の大家の某教授いわく、
「このQ君の論文には結論がない」。


(論文の質はさておき)これではちょっと可哀相です。


(幾つも論文を書いて、少し体系的になってきた段階ならまだしも)ひとつの論文ごとに、‘もっともらしい意義’を示すのは、歴史の論文の場合には、なかなか難しいものです。


また、ボクは、歴史を扱った本こそ何冊も出していますが、じゃあ歴史家か? と問われると、‘微妙’なところもあり、そのことも論文指導の大変さを増しています。


というわけで、毎度のことながら、M君の論文指導はかなりの長時間に及んでしまいました。