祝辞

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 本日ここに修士号ないし博士号の学位記を手にされた皆さんに心よりお祝い、お慶び申し上げます。洵におめでとう存じます。

 

 人生には、文句ナシにめでたいこと、というのは意外と少ない、と言いますか、滅多にないものでありまして、例えば結婚とかでも、全然めでたくない結婚もあれば、めでたいことはめでたいが、100%めでたいとは言えないこともある、と言ったら、差し障りがあるでしょうが、そうした中、試験に合格した、とか、学位を得た、とかいったことは、その滅多にない、100%めでたいことの一つではないかと思うわけでありまして、というわけで、今日のことはですね、人生に滅多にないことだから、できるだけ喜びにひたっていなければ勿体ない、というわけで、できるだけ喜びにひたっていることをまずは‘お勧め’致します。

 

 通常、この手の祝辞におきましては、学位の取得をお祝いするとともに、しかしながら、学位の取得は研究者にとってほんの一里塚にしか過ぎず、研究者として漸くスタートラインに立ったにしか過ぎず、研究者としての真価が問われるのはこれからで、決して気を緩めることなく精進して下さい、などといったことを言うべきかもしれませんが、しかし、私としてはそうしたウルサイことを言うつもりは毛頭ありません。学問の道はつらく険しい、などといったことを言うつもりもありません。

 

 今日、ここにいらっしゃる皆さん全員が研究者の道に進まれるのかどうかは存じませんが、この祝辞におきましては、一応、皆さんの多くが研究者の道に進まれるという前提で、ただし、その道がいかに大変なものか、といったことではなく、その道がいかに楽しいものであるか、ということを確認し、これからの、いわばバラ色の研究者人生に心を躍らせて頂けるような話をしたいと思います。

 よく世間一般の方から「いいですねぇ、大学の先生は」といったことを言われます。すると同業者の多くは「いやぁ、そんなことないですよ」といった答えをしているようですが、私の場合は「ええ、本当に幸せですよ」と答えます。そうした私は毎日々々その幸せを噛みしめながら生きております。

 その理由の一つは、やはり、好きなことを仕事にしている、ということであります。好きなことは仕事にはしない方がいい、という意見もありますが、そんなことはありません。働き方改革とやらが進められている昨今ではありますが、しかし、人生において仕事が占める割合はやはり決して少なくなく、好きなことを仕事にできる、ということはとても幸せなことであります。しかし、もちろん、多くの人が好きなことを仕事にできるわけではありませんが、研究者は好きなことを仕事にできている人種であります。世の中、勉強が好きな人と勉強が嫌いな人を較べたら、多くの人は勉強が嫌いだろうと思いますが、研究者は勉強が好き、という少数派の変な人種であります。生活のために研究者になるといった人はおよそ居ないわけでありまして、研究者は研究が好きだからやっている、という実に幸せな人々であります。

 皆さんも是非、幸せを噛みしめながら、また、少数派であることの自信を持って生きて下さい。

 自信といえば、研究者にとって自信は大切です。

 昔、恩師に該る或る先生に言われました。「学者というものは驕ってなくちゃだめだ」と言われました。この「驕って」は「驕り高ぶり」の「驕り」で、「自信」と似たような意味で、ただし、普通は悪い意味で使いますが、例えば自分の書いた論文が誰か偉い先生に批判されたとしても、表面的には、社交辞令的には「ご指摘頂いて有り難うございます」と頭を下げながら言うとしても、しかし、心の中では「てやんでえ。何言ってんだ」という感じで、自分こそが一番、という驕った気持ちを持っていなければだめだ、ということであります。

 さらにまた、研究者には、自分の仕事が自分の名前でもって残る、ということがあります。例えばビジネスの世界に居て、例えば何十億の売り上げに貢献したとしても名前は残りません。しかし、研究者は違います。

 文系と理系では事情は少し異なるかもしれませんが、私は文系ですので、文系の話を致しますが、初めて自分の本が出たときには嬉しくて枕許に置いて寝た、などという人がいます。むろん、こうしたことは、別に本でなくとも、例えば論文の類いでも同様で、初めて自分の書いたものが活字になったときにはとても嬉しいものであります。ものを書く仕事は4回も楽しめるとも言われます。すなわち、第一に、原稿を書き終えたときに嬉しく、第二に、ゲラ刷りが届いたときに嬉しく、第三に、その本や掲載誌が実際に刊行されたときに嬉しく、第四に、読者等から反響があったとき、要するに、褒められたときに嬉しい、ということであります。また、先程は、初めて自分の本が出たときには、と言いましたが、これは必ずしも正しくありません。少なくとも私の場合、初めて自分の本が出たときには、むろん、嬉しかったのですが、しかし、限界効用が逓減しない、と言うべきでしょうか、2冊目が出たときにも、10冊目が出たときにも、20冊目が出たときにも、同じくらい嬉しく、嬉しさの質は違っていましたが、つまり、1冊目には1冊目の嬉しさ、20冊目には20冊目の嬉しさがありましたが、嬉しさの程度は変わりませんでした。先程、言いましたように、これは、本に限ったことではなく、論文の類いでも同様であります。

 このように、1冊の本ないし1篇の論文で4回も嬉しく、しかも、数が増えても嬉しさが逓減しない、という意味においても、活字になるものを書ける、ということはなかなかに幸せなことであります。そして、すべて自分の名前と共に残る、というわけであります。

 

 以上、色々と明るいこと、ポジティブなことばかりお話しましたが、クリエイティブな仕事はゆとりあってこそなしうる、と考えるからであります。ハングリー精神というものも大切かもしれませんが、本当にクリエイティブな仕事はやはりゆとりの中からこそもたらされる、と思います。

 というわけで、研究者であることを幸せに思いつつ、自信ないし驕りを持って、そうした精神的なゆとりの中で、いい仕事をして下さい。

 

 本日は洵におめでとうございました。