ここでの‘意義’は、学生(留学する人)にとっての意義、ではなく、大学にとっての意義、のことです。
留学にはふたつの面があります。
①送り出しの面、つまり、在学生を海外の大学に留学させる、という面
②受け入れの面、つまり、海外からの留学生を在籍させる、という面
大学(or学部)によっては①の面ばかりを重視しているところがあります。
つまり、自分のところの在学生の留学先の開拓だけを考えている、ということです。
交換留学制度の場合も、自分のところの在学生を、一人でも多く、少しでも良いところに留学させよう、ということだけを考え、②の受け入れの面はどうでもいい、と考えているような大学(or学部)がかなりあります。
むろん、これは大学(or学部)経営的には意味があります。
‘海外のこんな有名大学にこんなに留学できる制度があります!’といったことはかなりのセールスポイントになります。
しかし、そもそもボク自身は交換留学制度の①の面には疑問があります。
例えばK大学に入ったなら、4年間をfullにK大学で学ぶ、自分のところの学生は4年間をfullに自分のところで面倒見る。
そうでなければおかしいと思います。
(ただし、留学自体の意義を否定しているわけではありません。例えばK大学を休学して留学する、というのは構いません。しかし、交換留学は休学しないので、K大学には4年間fullには居ない、ということになってしまいます。)
ちなみに、上記のことは、近ごろ流行りの単位互換制度でも同じです。
‘他大学の授業も履修できます!’というのも、経営的にはかなりのセールスポイントになります。
しかし、ボクとしてはこれも???です。
4年間をfullに自分のところで面倒見る、というのでなければおかしいと思います。
閑話休題。留学の②の面には大きな意義を認めます。
海外から多くの留学生を受け入れるということが、自分のところの大学(or学部)、そして在学生にいかに大きな刺激を与えるか、といった意義です。
むろん、②の面に熱心な大学(or学部)も少なくありません。
そして、そういう大学(or学部)は‘英語’による授業を増やして‘国際的な’大学(or学部)になることを目指しています。
ボクはこれにも疑問があります。
いくら英語の授業を増やしても、同じ土俵で勝負したら、海外の有名大学にはまだまだ勝てっこありません。
優秀な学生は、日本の大学には来ず、やはり欧米の有名大学に行くでしょう。
‘英語’は余りウリにはなりません。
ウリになるのは‘日本’です。
わざわざ日本に留学しようとする優秀な学生は‘日本’に関心があるからこそ来るのです。
日本の伝統文化や日本のアニメやJapanese managementに関心があるからこそ来るのです。
そして、‘日本’に関心のある優秀な学生は‘日本語’にも関心があります。
‘英語’は余りウリにはなりません。
以上、あくまでも‘個人的な見解’でした。