A先生の思い出(by友岡)

某誌の編集者から連絡がありました。
会計士の誕生』の書評を載せたいが、評者は誰が適任か? という問い合わせでした。


著者に書評の執筆者を推薦させる、というのは余り良いことではないでしょうが、ときどきあることです。
褒めてもらえそうな人を推薦するだろう、という意味では良くないことでしょうが、最も適切な評者を選べるのはやはり著者、という意味ではあながち悪いこととも言い切れないかもしれません。


こういった話になると、いつも思い出すのは恩師(指導教授)のA先生のことです。


A先生のところには書評の依頼が殺到していました。
A先生なら必ず褒めてもらえる、ということで、多くの著者が「是非ともA先生に」と‘ご指名’していたからです。
ただし、A先生は、何もいい加減に甘い書評を書いていたわけではありません。
A先生はとても広量な(心が広い)人で、人を批判することがなく、叱るよりも褒めて人を育てる、そういう人でした。


逸話・その1


A先生は弟子(助手時代のボク)を使わない(ボクに下請け仕事をさせない)人でした。


一度だけ下請け仕事を頼まれたことがあります。
その時のA先生は多忙を極め、依頼されていた書評を書く時間がどうしても取れず、代わりに書いてくれないか、と頼まれました。
某大学のM教授の本の書評でした。
ボクは、どうせA先生があとで褒め言葉を沢山書き足すだろう、と思いながら、いわば☆(星ひとつ)くらいの評を書いて先生に渡しました。
案の定、数週間後、某誌に掲載されたものは☆☆☆、褒め言葉が満載でした。


逸話・その2


A先生は弟子(助手時代のボク)を使わない人でした。


A先生は頼まれた仕事は断らない人でした。頼む方から見たら、仕事を頼みやすい人でした。
或る時も、学会の会長の某教授がA先生に仕事を頼んできました。
その某教授いわく、
「Aさんのところは優秀な若い‘手足’が居るから、彼にやってもらえばなんとかなるでしょう」。
(「優秀な若い‘手足’」とはボクのことです。)
それに対してA先生は
「いやあ、ウチの‘手足’はあれでなかなか忙しくて」
とその仕事を断ってくれました。


逸話・その3


A先生は弟子(助手時代のボク)を使わない人でした。


或る時、何か頼みたいことがあったらしく、ボクの研究室に電話を掛けてきました。
A先生「もしもしAですが。いまお忙しいですか?」
ボク「ええ」
A先生「ああそうですか。じゃあまた」


本当にいい先生でした。


逸話・オマケ


ボク「昨日出た今月の『○○○○』の巻頭論文、読みました。相変わらずお忙しそうですね」
A先生「いやあ、でも私の書くものはいつも粗製乱造だから」
ボク「ええ」